浅野家の菩提寺である「花岳寺」が正に目の前にございます。
本堂の天井には、江戸時代に法橋義信が描いた虎の絵があり、虎入りの「Q」のロゴの元となりました。
また、赤穂城跡、大石神社へは徒歩圏に位置し、周辺に神社仏閣も多数存在しています。
飲食店も徒歩圏にあります。
当館スタッフが自ら歩いて見つけた周辺のお薦めのお店などご案内いたします。当館徒歩圏内には魅力的なスポットが複数点在しております。お時間の許す限り街並み散策をお楽しみください。
浅野家と赤穂義士ゆかりの寺
禅の曹洞宗に属し本山は永平寺。 赤穂藩祖浅野長直公によって正保2年(1645)に建立された寺であり元禄事変後は、永井家、森家歴代藩主の菩提寺となる。 境内には、四十七義士の墓・宝物館・義士木像堂などもあり、赤穂義士ゆかりの史跡ともなっている。 赤穂城の塩屋惣門を移築した山門は赤穂市指定文化財。新西国第31番、瀬戸内観音第7番の霊場である。
・第一と第三日曜日の朝6時開始
・誰でも参加可能(事前の予約が必要)
2ヶ所にある「大石名残の松」のひとつが、浅野家の菩提寺花岳寺の「二代目 大石なごりの松」です。
初代の2本の松は、樹齢310年の銘木で、大石内蔵助良雄が母の冥福を祈って、元禄4年(1691)に相生村の領地(備中松山城の受取りの手柄で、もらったそう)から移植したものです。
開城の残務処理を終えた内蔵助は、赤穂を去る時、母親と大石家の先祖の墓参りをして、この松の下で名残を惜しみ、御崎から船に乗って、京都の山科へ旅立ちました。
初代の切り株が、本堂前の「千手堂」に保存されていますが、その太さと、48本の石柱で支えられていたと聞くと、どれだけ大きかったか分かります。
※当時の写真も展示されてます
赤穂義士ゆかりの地。
浅野長直の指示によって慶安元(1648)年から13年の歳月をかけて築かれた赤穂城は、近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城です。藩の家臣で軍学師範の近藤正純が設計し、そのうち二之丸門虎口の縄張は、当時の著名な軍学者であった山鹿素行の手が加えられたと伝えられています。赤穂城跡は軍学に従って築かれた城であり、徳川幕府が始まって約50年後に築かれたにも関わらず、その構造は戦を強く意識しており、複雑に折れ曲がる石垣、角度を違える諸門に特長があります。城地は三方を山に囲まれ、東に千種川、南は瀬戸内海に面し、清水門の南にある船入は船が出入りできるようになっていました。昭和46年に国史跡指定を受け、平成14年には本丸庭園と二之丸庭園が国の名勝に指定され、文化財の修復・復元はもちろん、都市公園としての整備も進むなど、赤穂市のシンボルにふさわしい城跡として蘇りつつあります。
赤穂義士を祀る神社。討ち入りの采配など義士の品を展示。
大正元年赤穂四十七義士並びに中折の烈士萱野三平を主祭神として赤穂城三の丸大石内蔵助、藤井叉左衛門両家老屋敷跡に鎮座。 その後浅野家三代の城主長直・長友・長短の三侯、浅野家断絶後の城主森家の遠祖、本能寺の変で亡くなった森蘭丸等七代の武将を合祀している。 ご祭神大石内蔵助を始め四十七義士が1年10ヶ月の間苦労を重ねお殿様の仇を討ったことにより「大願成就」「心願成就」の神として全国の方々より崇敬を集めている。 現在の社殿を始め神域は平成14年の赤穂義士討入り満三百年に際しその記念事業としてすべて一新した。